旅の途中／樋口えみこ
中村君に逆立ちしなよと言ったらできないと 言った それじゃでんぐり返り これもできない と言うかと思ったら ただ転べばいいの、 うまく起き上がれないよと言って照れている 日が暮れてくる人吉城のニノ丸跡だった くちべただけど信頼できる 厚くて頑丈な手の平みたいな そういう石垣が残っているのだ 私たちはふうふう登っていった 痩せた私と女の子みたいな中村君だった
私たちはとても小さかった すっすっと立った樹木に守られた私と中村君は もっともっと小さくなって樹木のあいだを 走ったり転んだりできるような気になったの だった 焼酎工場でもらってきたワンカップ焼酎を ボンタン飴くちゃくちゃ噛みながらしたたか 飲んでいい気になってもう帰らなくていい 私たちは笑いたくなる 陽の落ちる方向に街がありさっぱりした川が 線を引いている きょうあの川に沿って上って きたとき場所を忘れるような風が電車の窓 から流れてきたんだったね 水が近くにあるのはいいねえ そういうものがここからはうんと見渡せる 中村君はでんぐり返りをしたいのかもしれない 自分からやると恥ずかしいのかもしれない やんなさいよ 中村君はでんぐり返りをした 最後はふにゃんと崩れた 私だったらもっとうまくやる そう思ったけどあれは中学生の頃だったな
帰ろうか 中村君はまだでんぐり返りがしたいみたい 私はこういうの見るとむりやりキスしたくなっ ちゃったりするんだけど中村君とはきょう 会ったばかりだしでんぐり返りが好きなのか いまでんぐり返りしたい気持ちだったのか 聞いてからでもいいな 私たちはほんとに小さくてもうじき暗闇のなか 見えなくなってしまう
＊詩集「なにか理由がなければ立っていられないのはなぜなんだろう」ヨリ
*むりやりキスしたくなっちゃったりはできないお年頃になりました。中村君(仮名)元気ですか?
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