２月に満ちて 樋口えみこ
昨年のこと 米軍のファルージャ侵攻をテーマに 詩を書こうよと友が言い うんうん唸って書こうとしたが 言葉が出てこなかった
アメリカに知人はいないし イラクにも親戚はいない 例えば洪水で流されてしまった人達の 災厄を思い浮かべて 哀しみと怒りを奮いたたせようとするが 心は、動かない
全人類の平穏を、私は祈れないのだな と思った そして２月、インフルエンザに罹り 熱にぼやけながら モノを書く必然性もないのだな と思った
着信音に設定してあるジュピター スケール感のある音楽がケータイから響いて きみの顔が四角い枠の中に映っていた
きみが死んだら、 と想像したら 人間愛が奮いたつかな
音声とずれる表情や動作がきみを いつもよりも穏やかな子に見せている ずっとそばにいて、
と私は言わなくなった
どこで何が起こるか わからないのだ 自分の気持ちも 波のようにかたちが砕けてつかめない
熱い部屋の中で ヒヤシンスの蕾が次々と花開いていく この匂いは 春の匂い 頭にしみてきて 窒息しそうだ むせかえる 死の匂い
だれも 未来を夢見ないわけじゃない
神を信じないというきみが 中年太りのジョン・トラボルタが 天使に扮した物語を楽しんでいる
いつか翼が生えて飛びたてる と思わなくなった
足の裏にふれる地面が いつまでも確かなままにある とも思わなくなった
しかし規則正しく巡ってくる季節 春は何度も死に向かって花弁を開いていく と思う
手をあわせてみたが 何を祈ったらいいのか 本当のところはわからないんだ またね、
イラクの話なんかしない きみも 何も考えていないわけじゃないから
またね、 私には言葉がなくなって 着信履歴に残された名前のかたちを 目でなぞる何度も これがきみであったこと いまが私であったことを 無感覚で